昭和57年02月23日 月次祭
宗教的感動と言う事を申しますが、宗教的感動と言う所から、教祖が教えられます真に有難しと思う心、すぐにみかげの始めと仰せられるように、この信に有難しという宗教的いうなら感動情操というものも、大変大切でありますと同時に真に有難いという信心がこう続けられる。一時的なものではなくてそれが愈々その真に有難いというものが、本当なものに大きくなっていくという信心でなからなければならんと思います。
今朝からのご理解に、甘木の初代のお話であると、私が承っておりますお話を、皆さんに聞いて頂いたんですけれども。ある時に信心のない人が、まぁ求めてというか、おたずねに見えて大体金光教という神様は、どういう神様ですかと、言った様な質問に答えて、甘木の初代がまぁねんごろに、天地の大恩いうならば、天地のご恩恵なしには、もう生きとし生けるものがまぁ、ご恩恵なしには生きられないのだ、と言った様な理を説かれたと言う事でございます。
甘木は親先生がご奉仕になっとる後ろの方で、修行生の方が奉仕をしておるそうですが。その奉仕の先生が親先生今日参ってきた、あの信者氏子はなかなか分かりが良かった。もう先生の話をいちいち合点しながら聞いておった。本当に始めて金光教の神様というのが分かりましたよ、分かりましたというて帰ったが、これから良い信心が出来る事でしょうねと言うてから、申し上げたら初代が言われたそうです。あんまり分かったからもう参ってこんとじゃと言う。
本当に参ってこなかったげな。だからあんまり早分かりでもいかん訳ですね。分からにゃ分からにゃというけれども、その分かったことがやっぱり、ね。本当に血に肉になって行かなければ、今日私が申します。宗教的感動は例えばあっても、ね。真に有難いということのいうならば、育っていくと言う事はないと思うです。今日私は別に皆さんに聞かせようと思う事じゃなかったけれども、丁度午後の奉仕はもう一杯、お月次祭ですからお参拝があっておりました。
それにむなこしさんじゃなかった、あれは伊藤さんじゃったか、が参拝して見えて、今朝方からあのお夢を頂きましたち。というのは今度それこそあの神様のお部屋を中心にして、見事なおうちが出来てお庭が出来て、おかげを頂きましたが。私の方の家の前がこう船着き場になってる、港みたいにずうっと。ね。でそこにまぁはぁここなら何ぼでも船がここに、船が着けられると言ったような、そのお知らせを頂いたという。
私どもがここへ合楽に移ってこなければならんという時に、神様にお願いをさせて頂きましたら、石浦と言う事を頂きました。所が実際石浦と言う所には、なかったんです、神様のお屋敷にすると言った様な所が。この道一重向こうの方には、あのいくらもはぁここなら良かろうなと言う所のがあったから、随分そこまぁ遠いの久保山先生なんかは、東京あたりまでお出でられて、交渉やら色々に当たられましたけども出来ませんでした。そしてその道一重こちらの西側のここです。
ここはもう田んぼのような、あのいわゆる深田という訳です。でとてもここに家なんか建つなんてことは考えられない。側おって通る時どんこちらに家なんて思うことはなかった。所が何べんも何べんも交渉していくうちに出来ませんから、ふっとある時にここに私も一緒に、見に参りました時にしかし神様は、こちらならあんた道一重向こうの方は西瀬じゃん。西瀬と石浦が二つ合わせて合楽とこう言うのです。だからその神様は石浦とおおせられるのだから。
石浦の方を探さにゃということでございましたが、ここが決まりました。初めの間は六反でした。その六反のかたが、五人か六人か、あの地主さんたちが、みんなもう一晩のうちに出来ましたお話が。これももうあっという間でした。本当驚きました。やっぱ神様が、ここは神定めの地であったと言う事を思わせて頂きましたが、その時の話をまぁ伊藤さんに、今日させて頂いた事でした。
石浦と言うところは、石の浦と書いてありますけれども、石と言う事は心に当たることだ、ね。あの人は意思が強いとこう言うでしょう。心、ね。言うならばここには人の心というか本当に助かりを求めての、いうなら船がここの石浦という港に、一杯もう一杯船が着いておると言う様なお知らせを頂いて、石浦と言う事に決定したんですけれども。なかなかそれが分からなかったがはぁここでも、ここに野地を持ちさえすれば良いからと、言う事でございましたが。
まぁ当時自動車学校か何かが、久留米の近所で山を壊してねその土の持って行きどころがないという。その土をここに頂いて当時大きなトラックで、千二百台来ましたもん。土地が。そしてこのまぁお屋敷が出来たんです。その時分のお話をまぁさせて頂いた事でした。そのお話の中に私が、昨日今日頂くご理解をまぁ織り交ぜて聞いて頂いております間に、後ろの方達もやっぱ一生懸命、もうこの頃目が薄いから、その辺におると分からんです。だれが来よるか分からんけれども。
私が一生懸命その伊藤さんに、お話させて頂いておりましたら、ね。伊藤さんのお届けが終わって、参ってくる何人かの人が、もう今日はもう本当に有難い御理解をを頂きまして感動致しましてと言う人が、何人もあったんです。あぁ本当に人が頂きよるとば聞きよってから、おかげ頂くことがありますですね。と言うのは今日私が昨日の朝、ご祈念の時に頂いた。助かりの海開眼と言う事を頂いたんです。ね。助かりの海岸。例えば伊藤さんの家の前が港になって沢山の船が着く。
いうならばくのいち会とか、西分会の教励会というだけではなくて、もう日々があなたがお家におられる時には、あなたの信心を求めて集まって来る程しの人が、しかもその沢山集まって来る様にならなきゃいけませんね。ためにはあなたがもっともっと力を受けて、あなたがもっともっというなら、くのいち精神を発揮させて貰うて、お徳を受けなければいけませんな。まず一つ助かりの開眼ですよと言うて、まぁ昨日助かりの海岸に着いて、色々の角度から助かりの海岸とはと言うお話をさせて頂いた。
所が昨日やっぱりこれは、やっぱり西分会の稲垣さん。はぁ中々変わった信心をなさいます。あそこへ参拝をする。そこにも参拝者があるわけです。その三、四人のかたを一緒の参拝でした。そして今朝がたから頂きました、そのお夢が成り行きの上達と言う事を、お言葉で頂いたと言う御祈念中に。はぁ私はもういっきで聞いただけで、ピーンと来たんですよ。それはあなた今朝のご理解の答えたいち言うて、言うた事でした。皆さん本当にね、私は思いますのに助かりの。
いわゆる開眼がなされて、そしてそこから合楽理念の実験実証が積まれて、いわば徳になり力になって行く。いわゆる真に有難いという心が、いよいよ豊かに大きく育っていくんです。信心が育つと言う事は、私は有難い心が育って行く事だと思うんです。ね。もうとにかく成り行きを大切にしていくと言う事の中には、様々な難しい事もあります。腹の立つ事もありゃ、悲しい思いをする事もありましょう。もう自分が損になるみすみす損になる事もありましょう。
だから自分に都合の良い事だけは、大事にするけれども都合の悪い事は、向こうに押しやると言った様な事では、本当な事ではない。その一切をいうならば、成り行きとして、それを有難くしかも尊びながら頂いて行こうと言う生き方を身につけていくと言う事。そしてそこにその実験が実証になって現れてくる。成程言わんでおって良かった、黙って治めると言う事は、こんなにも素晴らしいと言う事を、成り行きを大切にして行くと言う事は、こんなにも有難い事だと言う実験が積み重ねられて行く事が。
私は有難いという心が育って行く事だと思うんですけれども。その有難いという心が育っていく。いうならばどう言う事んいなりますかね。いわゆる助かりの開眼である。ね。この生き方に極まったという時なんですよ。それが体験の上にです。もう愈々この生き方を愈々、推し進めていく以外にない。人間は土より出でて土に帰ると言われるが、その道中とても、土の心で行けと仰せられるが。その土の心で行くと言う事は、愈々成り行きを尊び、大切にしていく生き方だ。
もうここに極まったと言う、その心がこれはまた一生涯かけて、いわゆる上達の一途を辿って行くような稽古に取り組ませて、所謂その願いが大きく深く広くなって行くと言う事なんであります。だからお互い銘々どうでしょうか。助かりの開眼が出来ておるでしょうか。もう信心合楽の信心は、これに極まった。極まったんだからこの事に徹して頂きぬく以外はないという、言うなら信心の構えが出来てくるわけです。
昨日竹内先生宛てに、あちらの名古屋かね名古屋と言う所と言や、皆さん知っとりなさろうばってんね。森さんという方が最近お参りになります。もうこの方はもうそれこそ、真の信心真の信心と、真の信心を求め続けられて、もうそれこそあそこにゴヒレイの輝く教会があるといやそこに参る。あそこにお徳の高い先生がおられると聞いたら、それを訪ね求めして、今日まで参りましたけれども、どうもすっきりしない。分からない。ね。たまたまあれは何の事からじゃったじゃか。
あ「あいよかけよ」で合楽の事が紹介されましたよね。あいよかけよというご本で。それから合楽にお出でられる事になって、もう本当に何というでしょうかね。もう合楽に一辺倒というか、傾倒されてしまわれたという感じ。先日のお参りには信心のない息子さんも、同道で森家の会式のお願いまでして帰られると言う様なまぁ傾倒ぶりである。その方からの手紙がもう中々、お歳ですけれどもその文書るが、もう若々しい生き生きとした文章で書きつづられておる中に。
もう本当に合楽にご縁を頂いて、合楽理念の素晴らしさ有難さ。いうなら合楽で言われるリズムに乗りに乗っての日々の模様がずっと書いてある。もうそれこそ素晴らしいタイミングの中に、毎日を、おかげを頂いた。そのおかげの事を書きつづられた後に、これはどうしたら良かろうかと書いてあった。私はそこを自分でこの頃読みませんから聞くんですよ。まるきり、これはちょうど芝居のせりふによく使う所ですよ。こりゃどうしたら良かろうかというとこなんかは。
あれはもう迷うてこれから先、どげんしたら良かじゃら分からんと言う時の、あれはセリフですけれども。この方の言われるいうならば、合楽理念に基づいて言うなら、素晴らしいタイミングの中に、日々がもう有り難うして嬉しゅうして、もう踊りださんばかりの心でございますと言っておられます。そしてこう言うおかげを頂いて、こう言う生き方が有ると言う事が分かった今日、この信心をいかに表そうか。いかにこれを人にも伝えていこうかという内容が。
こりゃどうしたら良かろうかという風に、私は聞きながら感じました。皆さんどうでしょうか。本当に合楽にご縁を頂いた事の有難さ。この有難さをです。人にも伝えずにはおられない。ね。こりゃどういう手立てで人に聞いて貰おうか。合楽の話をさせて頂こうかという。私はこう言う姿勢がね。丁度この前ここにご子息はすぐ帰られましたらしい。ご自分は一日二日泊まって帰られました。それであちらの二階の部屋じゃったつでしょうか。え菊の間に泊まられた。
そしたげなら隣の部屋でずうっと何か、この散在がいうならば三味線太鼓で賑うておると言った様な感じで、もう賑やかな賑やかな一晩であったと。そして目が覚めたというお知らせを頂かれたんです。ね。踊りださずにはおられない。その森さんの手紙の内容を見て、さぁこれからどうしたら良かろうかというその中にです。もう本当に踊りださずにはおれないというものを感じました。
これは私が若い時に色々道楽しましたから、踊りも稽古しました三味線も稽古した。端唄小唄も稽古させて貰うた。ですからこらまぁ宴会なんか行って、まぁ隣の席で、ね。芸子さんが三味線の調子をこう合わせ出して、三味線の音がしだしたらもう浮き浮きしてくるです。ね。そしてそこに引かれたら自分の知った歌が、そこにいうなら奏でられるというかね。引かれたらもうそれに乗って歌わずにはおられない。自分の知った踊りを地方が引いておると、もう踊りださずにはおられんとじゃ、ね。
どうでしょう皆さん。歌も知らなきゃ踊りも踊りきらん者が、どんな素晴らしいほんならリズムが流れてきても、はぁ素晴らしいなぁと思うだけで、自分が踊りだすと言う事にならんのです。言うなら森さんの場合は長年の、あちらこちらの信心金光教の信心を、いうならば極めようとする、その精進努力がです。いうならこういう踊りも覚えた、こういう歌も覚えた。いうならそこに始めて合楽理念に基づく生き方を実験させて頂く事になったら天地のリズムが聞こえて来る様になった。
日と光の旋律である。今まで持っておられた信心の心の光と言うものと。天地の親神様の日を書いて光と書くとあきらと読むですね。あきらと言う字はあれは字引きを引くと、日と光の旋律と書いてあります。いうなら天地と私ども小天地、言うなら合楽で言われる、天地人一如の世界というものが、そこから開けてくるようになる。そのリズムに乗ってですね。おかげを頂くことになる。これはねぇ私は本当にその、合楽に本気で心を向けるということ。ね。から私は神様の働きが起ってくると思うですね。
今日ここにお参りになっております、伊万里の吉富さんが三、四日前に、ご夫婦でお礼参拝して見えた。というのは私は今度のあの日航機の、あの墜落事故と言うのは、あれは、まるきり合楽を中心にして起こった事故のように思います。そら合楽があるけんあげな事故が起こったというのじゃないですよ。ね。けれども合楽の者に何かを分からせずにはおかんと言う、そういう働きを幾人もの方達のおかげを受けておられることからね、感じるんです。四人じゃった。
今度吉富さんのお話を聞いて、又是はちょっと違いますけれどもね。大変偉い方なんだそうです。先だって東京へ行かれる時に、それこそ合楽の話をなさったわけです。そう言う所があるならば、是非自分たち夫婦でお参りさせて貰いたいと。ここへお電話をかけられて二十七日が良かろうと、二十七日に参拝させて貰うと言う事に決定した。ね。夫婦で本気で合楽に心が向けられたわけです。ね。
そして実はあの事故のあった日。その日に大体は九州入りをなさるはず、無理をしてその飛行機で帰られる予定であったのが自分が二十七日に、こちらへもう来る事になっておるから、代理の方が来られたんです。ね。そしてその代理の方が、あの事故にあわれて亡くなられたんです。私はもう本当そのお届けを聞かせて貰うてから、丁度四時のご祈念に入る前でしたから。
こりゃまぁ本当に合楽の、それこそ靴の紐をこう結ぼうとした、その瞬間にあの事故で全部亡くなられた中に、一人だけ助かったとか。ね。席を後ろに三人が変えた所で、おかげで、後ろの方は事故がなかったとか。先だってあの本人がお礼に出て見えましたが、もう話を聞くともうそら素晴らしいおかげを受けておられるですね。そういう話なら皆さん、合点がいくし分かりもするけれども。その方がただ合楽に、心を二十七日の日には、どうしても合楽参拝を夫婦で計画された。
決められた。電話までかけてこられた。それでその中間の事でその代理の方が、九州にお出でられて帰りの飛行機で亡くなられた。はぁ折角そういう関係がこうあったのが、その方も何とか助けて頂く手立てはなかったもんだろうかと。私はお届けさせて頂いてそりゃ本当に、その方は命拾いなさいましたなぁと言うたもんの、何かはいけない心の状態でした。みなさんでも感じられるでしょう。金光様の信心しとら、しとる者は助かるばってん他のもんは、もう助からじゃった。
その人の代理の人が、もう身代わりの様にして亡くなられた。悲しい出来事でしたが。すぐ私はご神前に出たから、その事が一番心にいうなら、それこそ割り切れない心を神様に申し上げましたら。あのザクロと言う果物がありますね。ザクロがパーっとこう引き割れたような感じ。何かちょっと頭でも割れたと言った様な感じでこう頂いたんです。そして頂きます事が、障子一重に小僧千人と言う事を頂いた。障子一重に小僧千人こうあれを引き割りますと、丁度障子の様にこう仕切りがありますよね。
その仕切り仕切りの中に一杯の、それこそ小僧さんの様な丸い粒がいっぱい入っておる。そう言う事だと思うんです。教祖の神様は一人がおかげを受けたために、千人も万人もおかげを受ける事になろうがと。ね。先には人の手本にも成る様な信心をと、こう言われますけれども。本当にね合楽様のために助かった。私はこの方の実感はあの吉富さんのところに電話のかかってきた、その話を聞きながら感じたですね。心は合楽様に向けた。おかげで、私ども夫婦の命拾いがさせて頂いた。
所がそこには自分の代わりの人が、悲しいことだけれども亡くなられた。まるきり自分たちの犠牲のよう。この御霊のためにも、本当な信心をして、自分の周囲周辺に、人が助かるような、一つ信心にもおかげにもならなければ、御霊に対しても相すまんと言うような心を起こし、一心発起してほんなら合楽に帰依して、もし、行かれるとするならばです。神様の願いは、その辺にあるようですよ。私はそれを頂いて何か心がすっきりした。私どもは分からない事がいっぱいある。
大きな節に出会いますと、どうしてこういうと思いますけれども。その節を愈々大切にしていくと言う事。これが日ごろの信心日頃、いうならば天地との交流というか、リズムを聞いておらんと、その苦しい所が乗り切れないのです。有難く受けて通れないです。そういう例は幾らもありますよね。自分のために犠牲になられた。自分は助かったけれども、けどもその御霊様のために、自分は今後の余生というもねを、人の助かる事にまぁ奉仕しよう、尽くさせて頂こうと言った様な。
もしいうなら事にならせて頂く。そのザクロのお知らせから、私はそれを感じたんです。この方が一人いうなら助かられた。助かられたおかげで、千人も万人もの者が助かるようになった。終戦十五日前に私の弟が戦死をした。あれほど信心しよりなはっとに、どうしてとこう言う事も思いますけれども。今から考えてみますとです。おかげで一家中の者の信心が、愈々引き立った。いわゆる御霊様のいうならば、ご挨拶をさせて貰う時にこうやって、合楽で沢山の人が助かって。
もうこのゴヒレイは、あんたの死は無駄じゃなかった犬死ではなかった。あんたの死がこのような風に、いうならば千人も万にもの者が助かるような手立てにもなってきたんだという時に、御霊が喜ばないはずはない。安心の御霊として、おかげ頂かないはずがない。はぁ自分の死も犬死ではなかった。本当にあの大東亜戦争日清事変から、ずうっと続いての沢山の方が、いうならお国の犠牲になられたけれども。まぁ考えようでは犬死のような方も、沢山あったであろう。
なかに私の弟は私どもの一家の信心によって、犬死ではなかったとまぁ御霊としてのおかげを、いうなら愈々喜びの御霊、安心の御霊として、精進していっておる事でしょう。その吉富さんのそのお届けの中からね。そんなそのザクロのお知らせから感じたんです。ですから本当に自分が助かった。ほんならこの助かりを人にも、さぁこらどうしたら良かろうかと、こうそこに思いが至らなければなりません。その思いが至るまでにです。いうならばもう合楽の信心はこれに極まった。
いうなら助かりの開眼が出来た。愈々土の心で成り行きを、愈々尊び大切にして行く事に徹する事以外にはないんだと。ね。ここに助かりの理念と言われる、いうならば合楽理念による助かりの開眼と言う事になる。それをほんなら稲垣さんはです、成り行きの上達と言うこと。これはもう限りがないのです。この心は愈々成り行きを尊ぶとか、大切にするとか土の心でとか言うが、これはもう一生涯いやあの世までも持って続けていけれる信心なんです。そういう信心がいわゆる確固と言うならば。
信念の確立と言った様な事を申しますけれども、信念の確立とはそういう助かりの開眼が出来てから後の者であると思います。そこからねいうならばただ、宗教的情操とか、宗教的感動とかとこういう。今日私が伊藤さんにお話しさせて頂いた。後ろの方達がみんなそれぞれ、これは言葉に出してお届けがされましたんです。特にあの行橋の堀内さんなんかはもう、それこそもう全身全霊でその事の、今日のあの助かりの開眼と言う事を頂いた時に、何か身がびりびりしましたと。
本当に助かりの開眼。それは成り行きのいうなら、上達を計り願っていく以外にはないんだと、心に思うた時に心の中にそれこそ、宗教的感動ではない真に有難いという心が生まれた。その真に有難いという心を育てていく手立てというものが、私は合楽理念による。それこそ森さんが長年の信心の稽古をして、いうなら歌も覚えた踊りも覚えた。けれどもそこには悲しい事にリズムがなかった。所が合楽におかげを頂いて傾倒して、もうこりゃ合楽理念による以外はないと、腹が決まった所からです。
これはいうならご先祖の御霊様も、一緒に助かって貰わねばならんと言う様な働きにもなって。これは自分の周囲周辺にも広げていかなければならない。今東京あたりからもね、信心の同志の方達が参って見えられるその話を聞いて。だからそのくらいのことではない。それこそこれをいうならば声を大にして、もう本当縁ある人に人にも伝えていこう。いうなら合楽にお導きをしようと言う様な。それがねこらどうしたら良かろうかという、そのずうっとおかげを受けてきたお話を書きつづられて。
そしてそこで一時こう終止符を打って、そしてそこでもうはたと困られるのじゃなくて、はたと考えられたわけです。この喜びをこういうおかげの頂けれる道を、どのような風にして伝えたら良かろうかと、いうくらいのものが、みなさんの一人ひとりの中に出来てくるようになったら、私は素晴らしいと思うです。ためにはまずほんなら歌が歌えなければ、ね。いうなら踊りが踊れその手立てがね。今日私そのお話の中にも申しました事でしたけれども、ここに今霊神様の前にお花が入れてあります。
これは伊万里の竹内のお母さんが見えて、お花を入れて下さったんですけれども。いつでももう本当にあの一時ばっかり座って眺めとるごと素晴らしいですね。お花何かこうまぁ生花にしにくいだろうと思われるような。まぁ花を芯にして、根締めにこう紫のアヤメのような花がしてあります。とてもほんならあれだけの花の材料があるけん、あんた生けなさいち言うたっちゃ、誰も生けは切らんもん。
矢張り稽古にも稽古させて頂いて、あぁした自由自在ないうならば、芯添え体がきちっと決まっただけじゃなくて、本当に座って眺めておこうごと、素晴らしい花になっとるです。自分の心も同じです。本気で合楽理念に基づく稽古をさせて貰うと、それこそ自分ながらわれながら、わが心が拝みたいようになるです。信心の楽しみとか喜びとかというのは、それだと私は思うです。
こういう問題を抱えながら、私の心の中にはもう歓喜でいっぱい。喜びでいっぱい。そういう心の状態が開けてくる時にどのような、例えば節に直面しても、それを有難い勿体ないで乗り切って行く事が出来る。いうならばおかげがおかげで終わらずに、おかげが力にも徳にもなって行くと言う様なおかげを頂いて貰いたいと思います。ためにはまず銘々一人一人が助かりの開眼が先です。